クセノポン著 松平千秋訳 岩波文庫
八冊目はアナバシスです。
行軍中の指導者が書く本ってどんな視点なのかしら?と思いながら読みました
アナバシスというのは「上り」という意味です。
逆に「下り」は「カタバシス」というらしいです。
(題名としては「沿って行く」という意味の「パラバシス」を推す人もいるらしいです)
東京大阪間をおおざっぱに500kmとすると、6000kmは6往復。。。これを敵に追いかけられながら道知らず神託に頼り、故郷目指して行軍するわけですから、兵士たちにとっては本当に遠い故郷だったでしょうね。
軍記物を読んだのは初めてなので、どんな調子かと思ったのですが、これはすっきり知的な文体で、一気に読み切ることができました。戦さなのでどうしても人が死ぬわけですが、個人的には『イリアス』よりもえぐくない描写でした。リアルな戦場というのは、こうやって淡々と進んでいくんでしょうね。。。作者クセノポンは、この行軍の指導者的存在なのですが、ここでの危機的状況を考えると本当にこういう人がいて助かったー!と何度も思いながら読みました。
そもそも何故この人たちは6000kmもの距離を移動しなきゃならなかったかというと、この時代の強大国ペルシアにおける王族兄弟間の抗争に巻き込まれてしまったから、というのが発端。彼らギリシア軍がついたのは弟方なのですが、この弟、キュロス王子は清廉潔白で大変カリスマ性があるようで、本当の目的を知らずについてきたギリシア軍含む軍勢は当初同行を嫌がるのですが、結局一緒に兄方、今は王になったアルタクセルクセス王子を攻めてしまう。で、開戦となったのも束の間、早まったキュロス王子が飛び出して殺されてしまったために、さあ大変!という状況です。キュロス王子がいなければ、もともと攻めるなんて考えもしなかった軍団なのですが、かといってペルシア側があっさり彼らを故郷に帰してくれるはずもなく、ペルシアの首都バビロン近くから故郷のギリシアまで引き上げるという大行軍を強いられたのでした。しかも軍団の指導者が、これまた早々に敵の罠にかかり、ことごとく殺されてしまったので、急きょ頭のいい人(クセノポン)が指揮することになった、という次第です。でもクセノポンは完全なる指導者ではないです。ここがクセノポンの上手なところで、各部隊に隊長を選出し、いつも一緒に物事を決めながら進めます(いよいよギリシア近くなると、指揮形態も少し変化しますが)。でもこの書物を見ていると、ほとんどクセノポンの言うとおりに進んでいる気がします。凄いです。能力的には戦闘もする諸葛亮みたいな感じでしょうか。でもきっと、演義版で諸葛亮がパワーアップしているように、作者による多分の脚色(なんたって自分が書いてますからね!)も入っているためでしょう。
でもそんな脚色が入っていようがなかろうが気にならないくらい、この本は非常に貴重な資料が満載で、にもかかわらず文体も読みやすく(そもそもギリシア語学習者の読み物として欠かせないといわれるくらい)、「ギリシア文学がこの一冊しか残っていなくてもギリシア語は学ぶに値する(ギッシング)」という言葉にもうなずけます。知らなかったのが恥ずかしいくらいの本でした。6000km分の地理や風土、民族を教えてくれるなんて、柳田さんもびっくりですよ!
戦闘描写で面白かったのは、相変わらず神々の吉兆が大事で、戦いに際しての占いやパイアーン(戦いの歌など)も欠かさない、それゆえかとにかく規律正しいということ。世界史でアテナイの重装歩兵軍最強でペルシアも破れなかったと聞いた覚えがありますが、いかに重装歩兵軍が堅かったか、白兵戦における戦略もしっかりしているか(軽装歩兵、弓兵等との連携)、ということを知ることができます。
戦闘で負けた側は捕虜になったり街に火をつけられたり強奪されたり大変で、これは酷いと思うのですが、文中で「まことに凄惨を極めたものであった」と語られたのは、これらではなく、「(負けた側の)女たちはわが子を投げ落し、ついで自らも身を投じ、男たちも同様であった」という旧日本での敗戦時のような光景について。当時の米軍も日本人の自決には参ったみたいですが、自決する側は捕虜になるよりは、という文化的制約でやっていたのでしょう。このときのギリシア軍の相手であったタオコイ人の文化的背景はわからないので、なぜ自決を選んだのかわかりませんが、こういった文化的ズレについても考えさせられます。
アテナイとスパルタ人との軽口(アテナイ人のクセノポンが、スパルタ人は盗みの稽古に励んでいるんだからこの作戦はぜひスパルタ人に、といえば、スパルタ側のケイリソポスは、いやアテナイは公金盗みの名人でしょ、と言い返す)も、当時のギリシア情勢をうかがわせます。昔ペルシア戦争を習ったときは、ギリシアやるなあ!と思ったので、すぐそのあとにペロポネソス戦争が起こったのにはびっくりしたものですが、当時の先生が、ペロポネソス半島側と本土側では文化的に違うんだよー、と言っていたのを思い出します。『ギリシア神話』でも、神々の複雑な系譜がそのまま地域の風土の差を反映していると思えば、しかりです。
ギリシア側の美少年に対する思い(恋愛)もところどころに記されています。それで命が救われちゃったりするわけなので、男性の恋愛相手は男女問わず、いかに“美”を重視していた文化だったのかわかります。だけど、男性のピアス(耳輪)は許せないようで、リュディア人の文化はアジア的柔弱さの代表と考えられていたようです。
民族で気になったのは、モッシュノイコイ人の箇所です。「(彼らはギリシア軍の)救援隊を見ると反転して去ったが、死骸の首を斬り落として、ギリシア人と彼らの反対派の者たちに示し、それとともに妙な節廻しでうたいながら踊りだした。ギリシア軍の将兵は憤懣やるかたなかった―」。モッシュノイコイ人のこの踊りってなんでしょ。作品には様々な踊りが紹介されていますが、この描写が一番印象に残っています。その後続くギリシア側の反応を見ると、挑発行為なのかなと思ってしまうのですが、戦闘中なので、でたらめにおちょくっているとは思えず、この行為は彼らの戦闘の日常だったのか。。。そして、このモッシュノイコイ人が食べている胡桃についての描写では、「この胡桃は扁平で、割目が一つもない」と書かれており、注釈では「栗らしい」と書いてあります。これにはつい笑ってしまいました^^
行軍中の注意もあります。自分でも覚えておこうと思ったのは、「雪が眼を害うのを防ぐには、なにか黒いものを眼の前にかざして進めばよく、足については、絶えず体を動かして決して静止せず、夜は穿物を脱ぐのが良策であった。靴を穿いたままで眠るものは、革紐が足の肉に食い込み、靴が足に凍り付いてしまう。それというのも、古い靴はすでにすり切れていたので、彼らの穿いていたのは、剝いだばかりの牛の生皮で作った粗製のものだったからである。」「蜂蜜の巣が多数あり、蜜を食べた兵士はみな錯乱状態に陥り、嘔気や下痢を起し、真直ぐに立っていることができなかった。少量しか食べなかった者はしたたか酒に酔った者のごとく、多量に食べた者は狂人のごとくなり、瀕死の状態に陥る者すらあった。(でも数日後みんな回復)」でした。どんなことに巻き込まれるか分かったものではありませんな!
ギリシアについてくると、緊迫した描写も少なくなり、軍隊としても少しだらけているように見えます。こんなに苦労して戻ってきたのに、彼ら傭兵の一部は、すぐ次の戦争に向かっています。戦いが仕事であった傭兵の人生がうかがえます。
このころには金(きん)も豊富だったのか、兵士の給料の単位は金貨です。たとえば、「兵士諸君は各々月額一ダレイコス金貨、隊長はその二倍、指揮官は四倍」。どうやら『イリアス』の頃よりずいぶん値上がりしているようです。最近聖書を読んだ私としては、つい、イエスの売られた金額(銀貨30枚)についても考えてしまいます(ほんと安すぎじゃないか、ユダ。。。)。でもこの本を読む限りでは、実際スムーズに支払われることはあまりなく、ずいぶん大変そうです。キュロス王子は、そういう金銭面でもきちんとしていた、というところが傭兵たちをひきつけたようでした。
ちょっと長くなりましたが、大変面白い本だったので、同じく評価の高いカエサルの『ガリア戦記』もいつか読んでみたいと思いました。
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